2013年6月30日日曜日

第9回ゲスト:木村悠介

次回SALONAIRは、7/7(日)日本時間 23時スタートです!  


1985年生まれ、大阪出身、ベルリン在住。演出家、ダンサー、パフォーマー。近年の作品では、ライブ映像をリアルタイムで編集してプロジェクションすることで生身の身体と映像の中の身体を並置しながら、リアリティやアイデンティティの問題に切り込む、メディアパフォーマンス作品の制作などを行っている。

もともとは演劇への関心から、京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科 舞台芸術コースに進学。そこで演劇やダンス、パフォーマンスなど、多様な舞台芸術表現を学び、また同時に、映画や実験映像などのメディア表現への関心も芽生えつつ、劇場という場をベースとしながら様々なメディアや表現形態を複合的に使用した作品制作を志向するようになる。その後、岐阜県立情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の修士過程に進学し、本格的に映像やプログラミングを自身の作品に取り入れ始め、映像インスタレーション作品なども制作し始める。そしてIAMAS卒業後、すぐにベルリンに活動の場を移し、1年後の本年4月より、
Hochschulübergreifende Zentrum Tanz BerlinHZT)のSolo/Dance/AuthorshipSODA)に進学、現在に至る。


ゲストが活動しているベルリンの風景(撮影:木村悠介)


2013年6月29日土曜日

<後記> 第8回ゲスト:ハラサオリさんより

 先日の放送をご覧頂きました皆様、ALIMOさん、stopmotion大野さん、このような貴重な機会を頂きありがとうございました。

 トークでは私が渡欧を決めたきっかけ、3.11、ダンスパフォーマンス、美術教育、ベルリンの小劇場、ギャラリー、帰国後のビジョンについてなど2時間にわたりお話させて頂きました。大野さんが許してくださるのをいいことにあまりに多くの話題に飛んでしまい申し訳ありませんでした。

 私がALIMOさんにお声がけ頂いたときは「アーティスト」として経験の浅い自分に話せることはないのでお断りしようと思ったのですが、そんな何でもない自分が海外に来て1000本ノックのように異文化を打ちっ放している記録を残すことは自分や誰かにとっては意味のあることかも知れないと思い出演させて頂きました。この「誰か」というのは自分の世代や自分より若い学生のことで、海外に興味があるけれど語学、お金、何より実力が…と躊躇しているとか、何歳になったらとかいったことを考えている人に「今行きたいなら今行くのがいい」ということを伝えたいという気持ちがありました。アーカイブや後記もそのようなものとして触れて頂ければ嬉しいです。


《渡航のタイミング》

 放送でお話した通り、渡航した3つの理由のうちタイミングそのものに大きく関わっているのは原発事故なので、現時点で在外研修に関するキャリアは意識していません。確かにこちらで活動する日本人作家は国内である程度のキャリアを積んでから渡航される方が多いようで、周りを見渡してみると似たようなかたちで滞在している同世代の方はあまり見かけません(どこかにはいるのかも知れない
 私はまだ大学院を修了していませんし卒業制作すら内心忸怩たる思いで発表したので、作家として賞を頂いたこともありません。少し上の世代の作家の方から「ちょっと来るのが早すぎたかもね」と言われたこともあります。
 しかし自分でそう感じたことはなく、渡航の計画を1本のタイムライン上で考える必要もないと思っています。いつ何が起こり、何を失うか分からない時代です。情報の濁流の中で、自分の感動や違和感に正直であることだけが最後の頼りです。


《生活/制作》

 もともと海外への憧れ自体は特になく、今もただ見たものに対してなるべく素直に、フラットに反応することを心がけています。当然目新しく感じることが多いですが、そういったものがどれだけ豊かに見えたとしても裏にある犠牲や不幸の可能性を忘れてはならず、移入しすぎないことも大切なのだと思います。それが観光と在住の違いのひとつかも知れません。日常生活で感じるささいな違いもいわゆるカルチャーショックといわれる鮮烈なギャップも、元を辿れば風土、歴史(含戦争)、宗教といった根本的な差に基づいていることがほとんどで、これは一生分かり合えないと感じることもあります。
 やはりこちらでは何かと思うようにいかないことが多く、特に初めの頃は寝ても覚めてもお金、ビザ、読めない書類、手続きなどのことを考えなければならず、ただ心を小さくしていたのを覚えています。そんな時に日本の同級生や後輩が思い通りの(ように見える)環境を足場に活躍していたり、そこにいながら海外コンペに入選したり作品展示にこぎつけたりと、見える範囲の損得に翻弄されることも少なくありませんでした。
 今はそのような時期が過ぎて、土地や文化の理解も徐々に深まり自分に集中出来る環境が整ってきました。基本的にはダンスのオープンスタジオと小中劇場に通いながら、振付の研究会に参加したり、ときどき発表(パフォーマンス,ドローイングetc)の機会を頂いたりという感じです。振付の研究会についての詳細はブログに綴りました。
http://halasaori.blogspot.de/2013/06/blog-post.html 

 何かを0から理解して基盤をつくりさらにそこへアプローチして行くことは思っていた以上にエネルギーが必要でしたが、大きな感情の波に押されて海を渡ったからこそ折れずに来れた部分もあると思います。キャリアやコネクションはおろか、友達もいないところからのスタートでも、望めば手に入るものはたくさんあります。

6月のパフォーマンス記録(写真) : http://halasaori.com/wse_48sn.html

















《人生の計画とライフスタイル》

 ありがたいことに5,6,7,8月と月に1回ずつ踊る場所を頂きましたが、そこから先はまったくの白です。日本にいるときは自分の性別も影響して何月までに何をして、何歳までに何をしてということをかなり強く考えていた気がしますが、こちらに来てから様々なライフスタイルを知り、1ヶ月先の予定を自力で立てても翌日の出来事で全部変わってしまうことも多いので自然と時間軸で物事を考えなくなりました。かわりに自分の立ち位置を明確にしていくことが重要で、その為に多少の無理をして考えたりやってみたりしたことで先の予定が決められていくというのが現状です。

 少なくとも私の暮らしていた日本は自分の為に立ち止まる時間を作ることが難しい場所でした。今思えば留学よりも勇気が必要だったのは休学です。結果として望んだ通り、何も進めることが出来ない引きこもりの世界を手に入れました。ドイツでは一度社会に出てもまた勉強したいと思えば大学に入りさらにまた働くことができるので、30歳の新入生や大学生兼父/母なども珍しくありません。実際ベビーカーを横につけて聴講する男性を見かけたこともあります。そういった体験もまたこれからの自分の生き方に深く影響し始めているように思います。


《教育》

 日本と欧州で決定的に違うのは芸術の立場とそこに起因する教育システムです。
 社会的には娯楽の域を出ないことが多い日本の「アート」ですが、こちらで「アート(独:Kunst)」と呼ばれ評価の対象に入るものはほぼすべて学問です(例外もあります) 学問という点の実体験として大学で19や20歳の女の子達が青筋を立てて現代美術の討論をしていたり、お互いの作品を批評し合ったりということが頻繁に起こっているということがあり、衝撃を受けました。多少大げさではありますが、こちらの「アーティスト」というのは敏感な感性はもちろん、知識や技術を携えたリスペクトされるべき存在として認識されています。もちろんその中での差やプロフェッショナルとしてのラインはあるのでしょうが、私のような修行中の身でさえ敬意を持って接してくださる方もいます。こういった構造の違いは明らかで、私が19歳の時に必死で考えていたデザインとアートの違いなんてその知識の中のほんのほんの一部だったのです。
 高校時代は勉強しない、あるいは出来ない人が美大へ行くという認識を当たり前に押し付けられて、大学に入ればいかに文化予算が軽視されているかを思い知り、腹を立てていたものですが、自分自身がここまで不勉強で恥をかくとは思っていませんでした。そこから本当に切迫した勉強を始め今に至ります。これは言い訳になりますが、ヒロイズム論で言われるところの無垢/未熟/神秘/幼稚/天才といったイメージの境を曖昧にしたい国民性がアーティストの存在感にも関係しているのではないかと思うことがあります。


《今後》

 近い予定としては7/14、フライブルグ(独)の展示会にパフォーマーとして参加させて頂きます。5,6月のパフォーマンスも含めなるべく記録を公開出来るようにしますのでぜひご覧になってください。2014年には帰国と復学が決まっているのでその年は国内でライブ活動などしながら修了制作に取り組みますが、後はまた白です。



 一部ではありますがベルリンにある劇場やスタジオのメモです。

大劇場(オペラ、バレエ)

小~中の劇場(パフォーマンス、ダンス、コンサート)
Radialsystem  サッシャバルツ(コンテンポラリーダンスのカンパニー)の劇場。
Volksbuehne  フランクカストルフ(ドイツを代表する演出家)の劇場。
Hebbel Am Ufer(HAU)  2003年にクロイツベルクの川沿いの大中小3つの劇場が統合して生まれた劇場組織。
                国内外の演劇、ダンスのカンパニー作品が上演されている。
Sophiensaele  毎度尖ったパフォーマーを招いている クオリティにムラがない。
DOCK 11  ソロ、デュオ作品が多い印象。
Uferstudio  ダンスの専門学校、オープンスタジオなど複数の組織がスペースをシェアしているので
         発表される作品も学生の個人作品か群舞が多い。
Theater Aufbau Kreuzberg  デザインショップ、画材屋、本屋、カフェなどの入った大型文化複合施設の地下にある劇場。

オープンスタジオ(プロフェッショナルクラスのあるスタジオ)

2013年6月15日土曜日

第8回ゲスト:ハラサオリ


次回SALONAIRは、6/23(日)日本時間 23時スタートです!  















1988年 東京都生まれ
2011年 東京藝術大学デザイン科卒業後、修士課程へ進学

現在同大学院を休学し、吉野石膏在外研修員としてワイマール・バウハウス大学/ベルリンにて活動中。
身体表現とデザインの狭間を研究テーマとし、映像や文章を扱うこともあります。こちらではダンスパフォーマーとして研究会や展覧会、アートイベントに参加したり、ベルリンの小中劇場をまわり観察記録をつけたりしています。
来春帰国・復学予定。

ウェブサイト: HALASAORI.COM (www.halasaori.com)
ブログ: HALASAORI blog (http://halasaori.blogspot.de/)

Physical Notation -舞踏する楽譜- 

Physical Notation -舞踏する楽譜- 

Physical Notation -舞踏する楽譜- 

Physical Notation -舞踏する楽譜- 


ゲストが活動しているワイマールの風景(撮影:ハラサオリ)


2013年6月12日水曜日

<後記> 第7回ゲスト:鈴木悠哉さんより

SALONAIRの放送に関して幾つかの雑感、補足を述べさせてもらいます。 

<テヘラン、文化規制、その他>
世界中の都市の中で興味を覚える都市が幾つかあり、テヘランもその中の一つです。
前もってイランの状況を調べてみると、軍政による文化規制、そして宗教上の規制。これは特に女性に対してのものです。その大きな二つの要素を軸として細かい規制が存在する事を知りました。放送の中にも出てきたように,権力による、民衆への物理的、精神的な”抑圧”が存在すると感じました。後で気がついた事なのですが、僕が興味を持つ都市とはどちらかというと、なにかしらの要素のためにうまく社会が回ってない、滞っているような現状を持つ都市です。それは例えば、旧ソ連の国々であったり、東欧諸国、アジアの幾つかの国々だったりします。そこになにかシンパシーを感じる以上、やはり僕は日本の社会を決して成熟した社会とは思っていないのだと思うのです。
"抑圧”と一口にいっても内実はとても複雑です。ともあれ、そんな国の中にひとつ、”なにかしら個人的なイメージを自由に表現してもいいフレーム”を設けたとしたら、果たしてどのような結果が得られるだろうか、そういった興味をもとにテヘランでのワークショプにおける映像作品は制作されました。人類が国や、民族、宗教、などのあらゆる差異を越え、真に共有できる感覚があるとすればそれは一体なんだろうと思います。そういった興味のもと、今後も世界の幾つかの都市で作品を作っていこうと考えています。

<オランダ、一つのユートピアの形態>
オランダほど成熟した社会体制を持つ国をいまのところ僕は知らない。安楽死が合法であったり、大麻が合法である。また同性婚、管理売春が認められているこの国はたとえば日本から見たら転倒したイメージを持たれかねないだろう。しかし、ここに暮らして感じるのは徹底して合理的に、また徹底してニュートラルであろうとする意思のようなものです。オランダという国に乗り合わせた以上、民族がなんであれみなオランダ人になる。オランダという国には先入観というものが存在しない。手本になる国かは別としても、”オランダ”という尺度で世界を見る事はとても有効だと感じます。そして、オランダ滞在を経てもらったのはこの尺度のことだと感じています。

<ベルリンとスペース>
"ベルリンにはスペースがある”ということを多くの人が感じると思います。それと同時にベルリンには永遠に未完成な感覚がつきまとっている気がしています。この街の実験的な、またオルタナティブな空気をモチベーションとしてこの街にスタジオを持つアーティストが多い、ということもうなずけます。ベルリンには根底で資本主義にたいしてのアンチの姿勢がある気がします。それは、自分が思い描いたライフスタイルを択んでいく意思のようなものです。結果としてこの街で暮らすのにあまりお金は必要ありません。あるいはお金を稼ぐという選択もあるなかで、自分の時間を確保する、という選択も許されています。その選択の幅が社会に幅を持たせている。
結果として、世界の幾つかの国の中でもベルリンには別格のシンパシーのようなものを感じます。それはテンポラリーな性質のものでなく、長い歴史からにじむような精神性が街というかたちに実現されているからなんだろう、と思ったりします。

<ドローイング>
ドローイングをハブ的な機能だといえば、たしかにそうなのかもしれません。また、僕はドローイングをそのまま、ペーパーワークの事だとは考えていません。ドローイングとはすなわち、世界や現実の要素からそのポテンシャルを引き出す行為そのものだと考えています。そういった意味では例えば、先述したテヘランの映像作品も自分にとってはドローイングと呼ぶ事が出来ます。そこでは、なにかを作る、というよりはフレームを設け、いかに世界の無意識下にあるイメージを引き出すか、ということが命題になってきます。そういった実験のような事を続けているのだと感じます。

<その他、補足、リンク> 
*オランダ 
witte de with http://www.wdw.nl/ 
ロッテルダムにあるコンテンポラリーアートセンター。毎回の企画のキュレーションが興味深い。世界中のとんがった?アーティストの展示を数多くこなしている。
ロッテルダムにあるレジデンス総括組織。ロッテルダムにある幾つかのレジデンスで行われるイベント、オープンスタジオなどの広報、運営を取り仕切っている。こういった組織もあってか、ロッテルダムのレジデンスは横の連携がうまくとれやすい。他のレジデンススタジオにいるアーティストと交流する機会を多く持つ事が出来る。なお、各レジデンスのスタジオ環境もなかなか恵まれていました。
補足すれば、オランダのレジデンスが国や企業から助成金などをもらっている例は少なく、ほとんどがアーティストイニシアティブとしての運営形態となっています。僕が滞在したDUENDE STUDIOはもともと工業学校をリノベーションしたもので、スタジオスペースは巨大でした。普段はそこに現地のアーティストがパーマメントにスタジオを借り、制作をしています。そのうち3つのスタジオがレジデンス枠として設定されていて、スタジオアーティストの会議でレジデンスアーティストが決定されます。   

*ベルリン
オランダに比べるとベルリンのレジデンススタジオはコストが高めです。そしてアーティストが密集してきている現在その競争率も上がってきました。
ギャラリーに関しては、放送で述べた通りの印象です。この街へ来た当初、ベルリンビエンナーレがあって、そこにはごちごちの政治的テーマに乗っ取った作品しかなく、ベルリンは政治の街だ、という印象がそこで深く刻まれる事になりました。 
キュンストラーハウス/ベタニエン http://www.bethanien.de/ 
以上はベルリンのレジデンスの中でも質の高いプログラムを実施している(と感じる)スタジオ。日本人も何人か滞在しています。 
KW(クンストヴェルゲ) http://www.kw-berlin.de/ 
毎回とんがったキュレーションでベルリンのアートシーンを牽引している組織。 

*航空会社 
放送中、"ベルリンジェット”と言ったのは"エアベルリン”の誤り。とても安い。
と、イージージェット。