先日の放送を観てくださった方々、「ベルリンからペコリン」でもいつもお世話になってます大野さん、そして何よりわざわざベルリンまで来ていただいたALIMOさん、ありがとうございました。 第一回目は想定外のトラブルにより中止、延期となり、「ベルリンに行ったら電波も安定した放送に なるね!」なんて言って本当に来ちゃったALIMOさん、海外で生活する上で何より大切なのはそのフットワークの軽さではないだろうかと改めて考えさせられました。
放送では既に何人かのベルリン在住のアーティストの方々がいらっしゃったし、私が不定期で放送させて頂いてる「ベルリンからペコリン」(http://www.stopmotion.jp/hoshiko_yamane.html)の番組内でベルリンの生活や街についてはご紹介させていただいているので、今回は主に自分の活動についてお話させていただきました。思えば私がドイツに来た2006年当時は、まだインターネット環境が今ほどになく、現地の情報も さほどわからないまま、単身異国の地へ飛び込むといった感じでした。エストニアとベルリンを skypeでつないで東京からリアルタイムで放送するなんて事は、当時では考えられなかったことです。
番組冒頭でもお話しましたが、20代半ばで留学生としてベルリンに来た私にとっては、他のアーテ ィストの方々のように「活動の場を日本から外国へ」といった’アーティストとして’というような感 じでもなく、ベルリンがアート活動によいと聞いて来たわけでもなく、ただ偶然ここに辿り着いたといった感じです。そしてクラシック音楽の留学生として来たのに今の活動はまるで違う。一体どうな っているのか?笑 というような言も度々聞かれますが、私にとってはごく自然な流れで、気づいた らこうなっていたという感じです。ただ1つはっきりわかるのは、日本で感じていた閉塞感、こうであるべきといった固定概念、そのようなものに縛られていたものが、ベルリンという街に来たことに よって可能性がいかなる方向にも開かれたということです。私は幼少の頃からヴァイオリンを習い、大学院まで音楽を勉強してきましたが、常に「ヴァイオリンと言えばクラシック、オーケストラ、裕福な家庭の習い事、クラシック演奏家になれなかった者は先生になる」等々の全てに違和感を感じて いました。何もかもが人それぞれで、音楽は自由です。表現方法は無数にあります。そのように何か 違和感を感じながら、人と違う事をしてみたいと思っていたのにその勇気が出せなかった、そんな私 がベルリンという街に出会って、自分自身が多方面に開かれて行きました。ベルリンという街は壁崩 壊後まだまだ発展途上で、あらゆるアートが集まっていて、チャレンジできる街です。幸運にも私は その機会に恵まれました。 私自身が現在行っている3つのプロジェクトは、ヴァイオリンを使った全く違うジャンルの表現で す。ヴァイオリンという楽器の可能性を追求するべく、あらゆる方向性から模索していきたい。それ が、偶然に巡りあったベルリンという街で私が得た「自分の音楽」です。
一概に「アート活動したいなら海外に出たほうがいい」などとは言えません。しかし、外国に出なけ れば見えなかった日本、私のように外に出たことによって開かれた可能性もあるということ。私のような音楽家(ヴァイオリニスト)の形もあるということ。 それらの話が少しでも伝わればと思い、SALONAIR出演と後記を書かせていただきました。
長くなりましたが、コラボ作品まで作らせて頂いて、ALIMOさん、本当にありがとうございました。次はタリンに遊びに行きます!!
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