2013年7月31日水曜日

<第1回から10回を終えて> ALIMOより


今年3月からスタートしたSALONAIRが区切りの良い10回を終えました。この企画の意図するところに、芸術にとって大きなものがあると自負していますが、動機と言えばとても個人的なものでした。エストニアに活動拠点を移した僕にはいくつかの大きな不満要素がありました。同時にそれらは日本に対する失望と評価も兼ね備えていました。それはブルーノ・タウトが日本の美を日本人に伝えたのと似ているのかもしれません。フラストレーションの要因がエストニア人の気質や僕自身がアニメーションを表現媒体としている事、助成制度を利用している点が要因でもあることは認識していました。そんななか、「では他の国にいる日本人作家はどうなんだろう?他国は満足する環境なのだろうか?」こういった素朴な疑問と好奇心がSALONAIRを始めるきっかけのひとつでした。


現在僕は文化庁の助成制度でエストニアにいます。ほとんどの研修員が自分の作品制作のために海外に在住しています。もちろん僕もエストニアでリサーチと作品制作をしています。そんな日々が半年過ぎた冬の2月、ふと思ったことがありました。「繋げていく事も自分が今ここにいなければできないことだ」と。SALONAIRSkypeを使っています。偶然にも僕の住んでいるタリンはSkypeが生まれた町です。この地は世界と繋がりたいと思わせる何かがあるのかもしれません。
プロジェクトを思い付いて次の日には、最初のゲストを集めるべく動き始めていました。返信の早かったゲストの中に第1回ゲストの宮嶋みぎわさんがいたのですが、僕にとってこの出会いはもっとも幸運でした。彼女の紹介でStopmotion.jp主宰の大野さんと繋がり番組の土台ができ、そのあと第8回ゲストのハラサオリさんが偶然にもデザインが出来る方だったため、ロゴなど担当していただける事になったのです。SALONAIRはこのような幸運を持ち合わせていたし、スタートするべくしてスタートした、僕は今振り返ってそのような運命じみたものを感じています。


多くの方が言及しているように、海外で活動して行く上では日本人のアイデンティティを意識せざるを得ません。一番始めは言語で。次に、なぜここにいるの?と聞かれることで。すぐに作品や活動が日々の形成と結びつくことは考えにくいでしょう。まずは、現地の人との異差をどうするかという事になります。相手に差を説明するのか、認めさせるのか、自らが妥協し受け入れるのか、理解できない事を理解しようとするのか、拒絶するのか。これらのことからスタートするでしょうし、結局のところ常にここに辿り着くような気さえしています。違いを認識できても認めるまでは難しく、そういった日常を作品にどのレベルで取り入れ鑑賞者にメッセージとして形に出来るのかは、さらに難易度が高いはずです。しかしながらこれらのことを意識する姿勢がないかぎり、国際的な芸術活動を形成していくことは難しいのでしょう。となると、私やゲストの方々は今まさにそこへ向かい始めた立場にあると言えるでしょう。



(写真はすべてアンドレイ・タルコフスキー映画『ストーカー』ロケ地近郊・タリンにて)

SALONAIRはモデレーターの僕ALIMOが日本へ一時帰国するため、8月いっぱいお休みさせていただきます。一ヶ月の充電を経て、再び世界中に散らばっている日本人の人たちと対談できることが楽しみで仕方ありません。芸術に関わる日本人が国と国をリアルタイムに繋ぎ、ジャンルを横断しながら対談する番組SALONAIRを今後とも宜しくお願いいたします。

次回SALONAIR9月中旬予定!


2013年7月29日月曜日

<後記> 第10回ゲスト:奥田昌輝さんより

先日はSALONAIRに出演させていただきありがとうございました。
今回は後記ということですが、先日のトークで話し切れなかったことを少しトーク内容と重なってしまう部分はあるかとは思いますが、改めて書きたいと思います。

<渡航のきっかけ>
日本を離れようと思ったのは、大学院を出てから1年弱アニメーションの仕事などをしていたのですが、日本で活動しているだけでは選択技は限られたもので、知り合いとは仕事の取り合いをしているような状況で、その中で活動するよりももう少し、活動の拠点を広く持っていればそれだけチャンスや選択技が増えるはずだと思っていたので、いつか海外ではと思っていました。特に日本のインディペンデントのアニメーション作家で海外で活動している人は少ないのでそういう点でも他の作家達とは何か違うことができるだろうと考えていました。それでもいざ海外へと踏み出す一歩の勇気がなかったのですが、文化庁の海外派遣制度のことを知る機会があり、年齢的にも26歳だったので、今行かなかったら一生海外に行かないままになってしまいそうだなという思いがあり、応募することにしました。

<モントリオールを選んだ理由>
場所はカナダのモントリオール。ここを選んだ理由はカナダ映画制作庁(National Film board of Canada、以下NFB)があったからです。NFBは国の運営によって映画制作をする機関で、昔から数多くのカナダ人監督や外国人監督がアニメーションとドキュメンタリーフィルムを制作してきました。特にモントリオールにはNFBのスタジオがあり、カナダでも特にインディペンデントのアニメーション作家が多い土地です。様々な国から様々なバックグラウンドを持った作家が来ているわけですから、それぞれのやり方があるはずで、日本で自分が見てきたやり方とは違うものがあるんじゃないか。そういうものを見て自分の今後の活動に生かしていきたかったのです。

<カナダのアニメーションの製作状況、助成制度>
そのために、アニメーションの製作に関わる人達に会いに行き、インタビュー等をして情報を集めてきました。
カナダのアニメーションについてはもちろん行く前から見てきましたし、日本からでもある程度調べることができました。しかし、人から聞いたりインターネットで調べて得た情報だけでは、そこから想像することしかできません。行ってみたら全然違ったということも考えられるわけです。その土地の文化や生活様式、言語等、様々なものが影響して、環境は成り立っているはずで、その環境から生まれる作品や作家を囲む空気を実際に感じたかったのです。実際、カナダの良質なアニメーション作品はインターネット上で観ることもできますが、それ以外の作品というのも数多く存在しています。

特に知りたかったのは、アニメーション製作の資金をどのようにやりくりしているのかという点です。何を当たり前なことをと思われる方もいるかもしれませんが、アニメーションは他のメディアに比べて制作に時間がかかるメディアですし、ほとんど一人で製作の全てをするインディペンデントの作家にとっては、今後制作を続けていく上では製作資金をどう確保するのかということはとても大切なことであり、難しいことです。もし資金を集められないならば、仕事をして得た自己資金から捻出するわけですが、そうしていると制作の時間がどうしても削られていきます。アニメーション作家はそういったジレンマを抱えているため、制作を続けていける作家は多いとは言えません。

カナダのアニメーションというと、どうしてもNFBで製作されたアニメーションの印象がどうしても強いと思います。映画祭でも必ずといっていいほどNFB作品は上映されますし、自分もそういう印象を持っていました。しかし、実際にはNFBとは関わらずインディペンデントで活動を続けている作家もいます。そういう作家はNFBで制作するよりも、少ない予算でも助成金を得て制作する方が良いと考えています。実際、助成金と映画祭等での賞金で生活と制作を両立している作家もいます。NFBは国営の機関ということで、様々な場面で時間がかかるようです。例えば、作品の内容を一部変更するにしてもその申請に時間がかかってしまう。その点、カナダやモントリオールのあるケベック州の助成制度では作品内容の変更も自由に行えるような制度もあります。作家の制作スタイル等によってどのような方法で資金を確保するべきなのか向き不向きはあると思いますが、各作家には日本以上に選択技があるという点で作家にとっては良い環境であると言えると思います。

また、カナダのアニメーション作品は助成制度の充実もあり、1つの作品でも様々な種類の助成を受けている作品をよくみかけます。日本の若い短編アニメ作家の作品ではあまり見かけませんし、それだけ労力がかかり大変ですが、そういうこともどんどんやっていくベきだと思います。日本だけで活動しようとすると、どうしても限られた助成金を皆で取り合うだけになるので、そういう点で日本に留まらず海外にも目を向けていくことは1つの有効なあり方だと思います。
今後これが自分のやっていくべき方法なのかはまだ分かりませんが、これからも探りながら自分なりの方法を見つけていきたいと思います。

視聴者の皆様、ALIMOさん、大野さん、お付き合いいただきありがとうございました。


2013年7月21日日曜日

第10回ゲスト:奥田昌輝

次回SALONAIRは、7/21(日)日本時間 23時スタートです!  

1985年神奈川県横浜市生まれ。2009年多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。2011年東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻修士課程修了。多摩美術大学在学中にアニメーション制作を始め、東京藝術大学入学後制作した「くちゃお」がアニマドリード(スペイン)の学生部門グランプリ、ファントーシュ(スイス)のNew Talentを受賞した他、ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に入選するなど、国内外の映画祭での上映多数。現在はフリーランスのアニメーション作家、イラストレーターとして活動している。これまでに映画のタイトルアニメーションやTV番組のCG制作、本の表紙絵、CDDVDのデザインなどを手がけている。現在、文化庁新進芸術家海外派遣制度の研修員としてモントリオール(カナダ)に滞在中。
























ゲストが活動しているモントリオールの風景(撮影:奥田昌輝)


2013年7月15日月曜日

<後記> 第9回ゲスト:木村悠介さんより

こんにちは。改めまして、木村悠介です。
今回はSALONAIRでのトークの後記を少し書かせていただきます。このSALONAIRの中でもベルリン在住の他のアーティストの方々のインタヴューやテキストが載せられていますし、比較的ベルリンの情報というのは手に入りやすいと思いますので、僕はもう少し違う角度から、トークの時には話せなかったもっと個人的な視点から何かを書いてみたいなと思います。日本からベルリンに来て、一年と数ヶ月。これまでずっと日本にいて、ヨーロッパに来たのもこれが初めてだった僕が、今なにを感じているのか、考えているのかということを、少し抽象的な話にもなってしまうかもしれませんが、言葉にしてみようと思います。

僕が日本にいた時に漠然と感じていたのは、ある種の閉塞感のようなもので、アートとか演劇とか、ダンスとか、そういうふうに言われていたものの賞味期限は切れてしまっているとして、それに対して開き直りで対抗する、という態度がどことなく拡がっていたように思えて、何やら嫌な感じがしていました。もちろん、日本ではおそらく大多数の人がギャラリーや現代美術館、劇場に足を運ぶこともなく、それらに価値があるとも思っていないような状況の中で、開き直ってみせるというのはそれはそれで一つの在り方だと思うし、その開き直り方にもイロイロあるのだから、それをいっしょくたには語れないのだけれども、総じて、僕にとってはそこに可能性があるようには思えませんでした。あくまでこれは、いわゆる日本のアート・シーンだとかと呼ばれているものに対する個人的な印象で、個別的にはもちろん素晴らしい作品と出会うこともあったのだけれど、日本を離れる前の僕は、そうしたシーンや社会の空気というものを強く感じていたのです。そして、はたしてこれは日本の特殊性なのか、それともそれがある程度共有された現代性というものなのか、それを自分の目で確かめてみたい、というのが僕が日本を離れようと思った理由の一つでした。

ただ、日本を離れる前のそのことについての僕の予想は、ベルリンに来ても「そんなには変わらないだろう」というもので、実際の今の僕の印象としては、半分当たっていて、半分外れていた、というのが正直なところです。多くの人がいうとおり、アートや舞台芸術というものが置かれている状況は日本とはかなり違います。これはベルリンという街の特殊性もあるのだと思いますが、明らかにアートや舞台というものは身近な存在としてあるし、多かれ少なかれ、そこに価値を認められている、好きかどうか別にして、少なくとも、価値があるらしいということは知っている、という状況があります。ただ、僕は今、その状況を完全に肯定的には捉えられないでいます。個別的な作品の話を横において、乱暴な話をすれば、「じゃあ、ベルリンのアートや舞台は面白いのか?」というと、「そうでもない」というのが、あくまで僕の個人的な感覚に基づいた正直な感想です。もちろんベルリンではパブリックスペースも含めた、大規模な作品を見ることができたり、ほとんど毎週といっていいほどどこかで大小のアートイベントなどが開催されているのですが、その作品はというと、その多くが僕にとっては閉ざされているように思えてしかたがない。つまり、あるコミュニティなり、あるコンテキストの中で閉じているように思えてしまう。それをまた乱暴な言葉に変換するなら、アートなり舞台芸術というものが「価値あるもの」として甘やかされているんじゃないかというような印象を、僕は感じてしまう。それは日本とは一見真逆のようであっても、結果としては同種の違和感を僕に抱かせてしまうのです。

今、僕はこのベルリンで感じていることを正しく言葉にできているのか、どこかで強いバイアスが掛かったものを撒き散らしてしまっているんじゃないかと、かなり迷いながら書き進めています。一年と数ヶ月というのは、何かしらのシーンなり社会なりの空気というものを把握するには短すぎて、本当はなにも言うことはできないし、言葉の問題もあるから、何を誰がどう評価しているかとか、アーティスト自身がどういう発言をしているのか、ということをしっかりと理解するというのは難しいし、日本にいた時よりも増して個人的な印象でしか捉えることができません。それに、個人的な、というのはつまり、僕の趣味趣向に根ざした感想なわけですが、その趣味趣向というのは、ようは僕がある特定の場所に生まれて、育って、いろいろなものを見て、経験した中で形成されてきたものなので、そこにはおそらく僕の中にあるローカリティというものも関係しているのだと思います。何を面白いと思って、何を面白くないと思うのか、というのは、その人それぞれの個人的な記憶や歴史といったものを含めたローカリティが関係していて、それは誰かと共有できる部分もあれば、できない部分もある。そういう意味では、日本にいた時の方が、僕が面白いと思える作品に出会えることは多かったかもしれない。作品を作る時にも、ある程度限定されたローカリティに基づいて、どうすれば観客と何かを共有できて、何をできないかという設計はしやすかったかもしれない。ではここで、自分がローカリティの違いを強く感じてしまっているこの場所で、何をすべきなのか、どうすればそれを乗り越えることができるのか、それは何もこの場所のローカリティに合わせるということではなく、例えば日本の中にも様々なローカリティがある中で、それをどう乗り越えるのか、ということにも通じることだと、僕は今、考えています。


なんだか話が横道に逸れて、まとまらない文章になってしまいましたが、それも含めて僕のベルリン滞在の思考のプロセスとして読んでもらえればと思います。実際、日本で考えていたようなことをこっちでゆっくり考える暇もなく、もっと瑣細で基本的なことや日常的なところでの違いやトラブルなどがどっと押し寄せてきて、そういえば日本を離れる前はそんなことを考えていたな、と最近になってようやく考えられるようになってきたところでもありますし、しばらくそのことを寝かせていた分、僕の中でその問いは少し変化していっているという感じがします。これからもたぶん変化していくと思いますし、これは日本を離れたからこそ得たものだと思いますので、なんとなく今回の文章はそれほどポジティヴな印象のしないものだったかもしれませんが、日本で同じように海外での滞在などを考えている方には、思い切ってトライしてみて欲しいと思っています。ではでは、またどこかで。