2013年7月15日月曜日

<後記> 第9回ゲスト:木村悠介さんより

こんにちは。改めまして、木村悠介です。
今回はSALONAIRでのトークの後記を少し書かせていただきます。このSALONAIRの中でもベルリン在住の他のアーティストの方々のインタヴューやテキストが載せられていますし、比較的ベルリンの情報というのは手に入りやすいと思いますので、僕はもう少し違う角度から、トークの時には話せなかったもっと個人的な視点から何かを書いてみたいなと思います。日本からベルリンに来て、一年と数ヶ月。これまでずっと日本にいて、ヨーロッパに来たのもこれが初めてだった僕が、今なにを感じているのか、考えているのかということを、少し抽象的な話にもなってしまうかもしれませんが、言葉にしてみようと思います。

僕が日本にいた時に漠然と感じていたのは、ある種の閉塞感のようなもので、アートとか演劇とか、ダンスとか、そういうふうに言われていたものの賞味期限は切れてしまっているとして、それに対して開き直りで対抗する、という態度がどことなく拡がっていたように思えて、何やら嫌な感じがしていました。もちろん、日本ではおそらく大多数の人がギャラリーや現代美術館、劇場に足を運ぶこともなく、それらに価値があるとも思っていないような状況の中で、開き直ってみせるというのはそれはそれで一つの在り方だと思うし、その開き直り方にもイロイロあるのだから、それをいっしょくたには語れないのだけれども、総じて、僕にとってはそこに可能性があるようには思えませんでした。あくまでこれは、いわゆる日本のアート・シーンだとかと呼ばれているものに対する個人的な印象で、個別的にはもちろん素晴らしい作品と出会うこともあったのだけれど、日本を離れる前の僕は、そうしたシーンや社会の空気というものを強く感じていたのです。そして、はたしてこれは日本の特殊性なのか、それともそれがある程度共有された現代性というものなのか、それを自分の目で確かめてみたい、というのが僕が日本を離れようと思った理由の一つでした。

ただ、日本を離れる前のそのことについての僕の予想は、ベルリンに来ても「そんなには変わらないだろう」というもので、実際の今の僕の印象としては、半分当たっていて、半分外れていた、というのが正直なところです。多くの人がいうとおり、アートや舞台芸術というものが置かれている状況は日本とはかなり違います。これはベルリンという街の特殊性もあるのだと思いますが、明らかにアートや舞台というものは身近な存在としてあるし、多かれ少なかれ、そこに価値を認められている、好きかどうか別にして、少なくとも、価値があるらしいということは知っている、という状況があります。ただ、僕は今、その状況を完全に肯定的には捉えられないでいます。個別的な作品の話を横において、乱暴な話をすれば、「じゃあ、ベルリンのアートや舞台は面白いのか?」というと、「そうでもない」というのが、あくまで僕の個人的な感覚に基づいた正直な感想です。もちろんベルリンではパブリックスペースも含めた、大規模な作品を見ることができたり、ほとんど毎週といっていいほどどこかで大小のアートイベントなどが開催されているのですが、その作品はというと、その多くが僕にとっては閉ざされているように思えてしかたがない。つまり、あるコミュニティなり、あるコンテキストの中で閉じているように思えてしまう。それをまた乱暴な言葉に変換するなら、アートなり舞台芸術というものが「価値あるもの」として甘やかされているんじゃないかというような印象を、僕は感じてしまう。それは日本とは一見真逆のようであっても、結果としては同種の違和感を僕に抱かせてしまうのです。

今、僕はこのベルリンで感じていることを正しく言葉にできているのか、どこかで強いバイアスが掛かったものを撒き散らしてしまっているんじゃないかと、かなり迷いながら書き進めています。一年と数ヶ月というのは、何かしらのシーンなり社会なりの空気というものを把握するには短すぎて、本当はなにも言うことはできないし、言葉の問題もあるから、何を誰がどう評価しているかとか、アーティスト自身がどういう発言をしているのか、ということをしっかりと理解するというのは難しいし、日本にいた時よりも増して個人的な印象でしか捉えることができません。それに、個人的な、というのはつまり、僕の趣味趣向に根ざした感想なわけですが、その趣味趣向というのは、ようは僕がある特定の場所に生まれて、育って、いろいろなものを見て、経験した中で形成されてきたものなので、そこにはおそらく僕の中にあるローカリティというものも関係しているのだと思います。何を面白いと思って、何を面白くないと思うのか、というのは、その人それぞれの個人的な記憶や歴史といったものを含めたローカリティが関係していて、それは誰かと共有できる部分もあれば、できない部分もある。そういう意味では、日本にいた時の方が、僕が面白いと思える作品に出会えることは多かったかもしれない。作品を作る時にも、ある程度限定されたローカリティに基づいて、どうすれば観客と何かを共有できて、何をできないかという設計はしやすかったかもしれない。ではここで、自分がローカリティの違いを強く感じてしまっているこの場所で、何をすべきなのか、どうすればそれを乗り越えることができるのか、それは何もこの場所のローカリティに合わせるということではなく、例えば日本の中にも様々なローカリティがある中で、それをどう乗り越えるのか、ということにも通じることだと、僕は今、考えています。


なんだか話が横道に逸れて、まとまらない文章になってしまいましたが、それも含めて僕のベルリン滞在の思考のプロセスとして読んでもらえればと思います。実際、日本で考えていたようなことをこっちでゆっくり考える暇もなく、もっと瑣細で基本的なことや日常的なところでの違いやトラブルなどがどっと押し寄せてきて、そういえば日本を離れる前はそんなことを考えていたな、と最近になってようやく考えられるようになってきたところでもありますし、しばらくそのことを寝かせていた分、僕の中でその問いは少し変化していっているという感じがします。これからもたぶん変化していくと思いますし、これは日本を離れたからこそ得たものだと思いますので、なんとなく今回の文章はそれほどポジティヴな印象のしないものだったかもしれませんが、日本で同じように海外での滞在などを考えている方には、思い切ってトライしてみて欲しいと思っています。ではでは、またどこかで。

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