2013年6月29日土曜日

<後記> 第8回ゲスト:ハラサオリさんより

 先日の放送をご覧頂きました皆様、ALIMOさん、stopmotion大野さん、このような貴重な機会を頂きありがとうございました。

 トークでは私が渡欧を決めたきっかけ、3.11、ダンスパフォーマンス、美術教育、ベルリンの小劇場、ギャラリー、帰国後のビジョンについてなど2時間にわたりお話させて頂きました。大野さんが許してくださるのをいいことにあまりに多くの話題に飛んでしまい申し訳ありませんでした。

 私がALIMOさんにお声がけ頂いたときは「アーティスト」として経験の浅い自分に話せることはないのでお断りしようと思ったのですが、そんな何でもない自分が海外に来て1000本ノックのように異文化を打ちっ放している記録を残すことは自分や誰かにとっては意味のあることかも知れないと思い出演させて頂きました。この「誰か」というのは自分の世代や自分より若い学生のことで、海外に興味があるけれど語学、お金、何より実力が…と躊躇しているとか、何歳になったらとかいったことを考えている人に「今行きたいなら今行くのがいい」ということを伝えたいという気持ちがありました。アーカイブや後記もそのようなものとして触れて頂ければ嬉しいです。


《渡航のタイミング》

 放送でお話した通り、渡航した3つの理由のうちタイミングそのものに大きく関わっているのは原発事故なので、現時点で在外研修に関するキャリアは意識していません。確かにこちらで活動する日本人作家は国内である程度のキャリアを積んでから渡航される方が多いようで、周りを見渡してみると似たようなかたちで滞在している同世代の方はあまり見かけません(どこかにはいるのかも知れない
 私はまだ大学院を修了していませんし卒業制作すら内心忸怩たる思いで発表したので、作家として賞を頂いたこともありません。少し上の世代の作家の方から「ちょっと来るのが早すぎたかもね」と言われたこともあります。
 しかし自分でそう感じたことはなく、渡航の計画を1本のタイムライン上で考える必要もないと思っています。いつ何が起こり、何を失うか分からない時代です。情報の濁流の中で、自分の感動や違和感に正直であることだけが最後の頼りです。


《生活/制作》

 もともと海外への憧れ自体は特になく、今もただ見たものに対してなるべく素直に、フラットに反応することを心がけています。当然目新しく感じることが多いですが、そういったものがどれだけ豊かに見えたとしても裏にある犠牲や不幸の可能性を忘れてはならず、移入しすぎないことも大切なのだと思います。それが観光と在住の違いのひとつかも知れません。日常生活で感じるささいな違いもいわゆるカルチャーショックといわれる鮮烈なギャップも、元を辿れば風土、歴史(含戦争)、宗教といった根本的な差に基づいていることがほとんどで、これは一生分かり合えないと感じることもあります。
 やはりこちらでは何かと思うようにいかないことが多く、特に初めの頃は寝ても覚めてもお金、ビザ、読めない書類、手続きなどのことを考えなければならず、ただ心を小さくしていたのを覚えています。そんな時に日本の同級生や後輩が思い通りの(ように見える)環境を足場に活躍していたり、そこにいながら海外コンペに入選したり作品展示にこぎつけたりと、見える範囲の損得に翻弄されることも少なくありませんでした。
 今はそのような時期が過ぎて、土地や文化の理解も徐々に深まり自分に集中出来る環境が整ってきました。基本的にはダンスのオープンスタジオと小中劇場に通いながら、振付の研究会に参加したり、ときどき発表(パフォーマンス,ドローイングetc)の機会を頂いたりという感じです。振付の研究会についての詳細はブログに綴りました。
http://halasaori.blogspot.de/2013/06/blog-post.html 

 何かを0から理解して基盤をつくりさらにそこへアプローチして行くことは思っていた以上にエネルギーが必要でしたが、大きな感情の波に押されて海を渡ったからこそ折れずに来れた部分もあると思います。キャリアやコネクションはおろか、友達もいないところからのスタートでも、望めば手に入るものはたくさんあります。

6月のパフォーマンス記録(写真) : http://halasaori.com/wse_48sn.html

















《人生の計画とライフスタイル》

 ありがたいことに5,6,7,8月と月に1回ずつ踊る場所を頂きましたが、そこから先はまったくの白です。日本にいるときは自分の性別も影響して何月までに何をして、何歳までに何をしてということをかなり強く考えていた気がしますが、こちらに来てから様々なライフスタイルを知り、1ヶ月先の予定を自力で立てても翌日の出来事で全部変わってしまうことも多いので自然と時間軸で物事を考えなくなりました。かわりに自分の立ち位置を明確にしていくことが重要で、その為に多少の無理をして考えたりやってみたりしたことで先の予定が決められていくというのが現状です。

 少なくとも私の暮らしていた日本は自分の為に立ち止まる時間を作ることが難しい場所でした。今思えば留学よりも勇気が必要だったのは休学です。結果として望んだ通り、何も進めることが出来ない引きこもりの世界を手に入れました。ドイツでは一度社会に出てもまた勉強したいと思えば大学に入りさらにまた働くことができるので、30歳の新入生や大学生兼父/母なども珍しくありません。実際ベビーカーを横につけて聴講する男性を見かけたこともあります。そういった体験もまたこれからの自分の生き方に深く影響し始めているように思います。


《教育》

 日本と欧州で決定的に違うのは芸術の立場とそこに起因する教育システムです。
 社会的には娯楽の域を出ないことが多い日本の「アート」ですが、こちらで「アート(独:Kunst)」と呼ばれ評価の対象に入るものはほぼすべて学問です(例外もあります) 学問という点の実体験として大学で19や20歳の女の子達が青筋を立てて現代美術の討論をしていたり、お互いの作品を批評し合ったりということが頻繁に起こっているということがあり、衝撃を受けました。多少大げさではありますが、こちらの「アーティスト」というのは敏感な感性はもちろん、知識や技術を携えたリスペクトされるべき存在として認識されています。もちろんその中での差やプロフェッショナルとしてのラインはあるのでしょうが、私のような修行中の身でさえ敬意を持って接してくださる方もいます。こういった構造の違いは明らかで、私が19歳の時に必死で考えていたデザインとアートの違いなんてその知識の中のほんのほんの一部だったのです。
 高校時代は勉強しない、あるいは出来ない人が美大へ行くという認識を当たり前に押し付けられて、大学に入ればいかに文化予算が軽視されているかを思い知り、腹を立てていたものですが、自分自身がここまで不勉強で恥をかくとは思っていませんでした。そこから本当に切迫した勉強を始め今に至ります。これは言い訳になりますが、ヒロイズム論で言われるところの無垢/未熟/神秘/幼稚/天才といったイメージの境を曖昧にしたい国民性がアーティストの存在感にも関係しているのではないかと思うことがあります。


《今後》

 近い予定としては7/14、フライブルグ(独)の展示会にパフォーマーとして参加させて頂きます。5,6月のパフォーマンスも含めなるべく記録を公開出来るようにしますのでぜひご覧になってください。2014年には帰国と復学が決まっているのでその年は国内でライブ活動などしながら修了制作に取り組みますが、後はまた白です。



 一部ではありますがベルリンにある劇場やスタジオのメモです。

大劇場(オペラ、バレエ)

小~中の劇場(パフォーマンス、ダンス、コンサート)
Radialsystem  サッシャバルツ(コンテンポラリーダンスのカンパニー)の劇場。
Volksbuehne  フランクカストルフ(ドイツを代表する演出家)の劇場。
Hebbel Am Ufer(HAU)  2003年にクロイツベルクの川沿いの大中小3つの劇場が統合して生まれた劇場組織。
                国内外の演劇、ダンスのカンパニー作品が上演されている。
Sophiensaele  毎度尖ったパフォーマーを招いている クオリティにムラがない。
DOCK 11  ソロ、デュオ作品が多い印象。
Uferstudio  ダンスの専門学校、オープンスタジオなど複数の組織がスペースをシェアしているので
         発表される作品も学生の個人作品か群舞が多い。
Theater Aufbau Kreuzberg  デザインショップ、画材屋、本屋、カフェなどの入った大型文化複合施設の地下にある劇場。

オープンスタジオ(プロフェッショナルクラスのあるスタジオ)

0 件のコメント:

コメントを投稿